書道教室 六六庵書道塾     (連絡先 089-941-6776)

 

 六六庵書道塾

 

   伊藤理恵 

 

     故 小原六六庵

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 故 小原六六庵

小原六六庵 【書道家・漢詩家・歌人】(明治34年4月16日〜昭和50年10月15日)

名は清次郎、雅号は方外、六六葊、又六六庵、六十五才以降は「六六庵」のみを使用した。

明治三十四年四月十六日生まれ。昭和五十年十月十五日逝去。享年七十五才。

  書道は中村翠涛の門に入って学び、昭和十三年書道教授となり六六庵を創立した。
独立書人団参与、愛媛美術会名誉会員、個展七回を開催し独特の書風を発表してきた。

 

 吟詠は戦後いち早く昭和二十一年に愛国運動と吟詠芸術論を展開して六六庵吟詠会を創立
総宰となって指導育成に努力した。
更に全県下を行脚し或は檄を飛ばして昭和二十五年愛媛県吟詠連盟を組織し
その初代会長となり昭和三十三年以降名誉会長として貢献する所多大なものがあった。

 

 漢詩家としては、六六庵吟社主宰、黒潮吟社、癸丑吟社、山陽吟社各同人として活躍し
六十年の作詩歴の中で、作詩の数は無慮五万首以上に上り、毎年の全県下
全国の吟詠大会には詩書を贈呈して吟友を激励した。

 

 短歌の方も歌歴が長く、「にぎたづ」誌同人として、同誌創刊以来二十余年間
独自の歌風を発表したが、憂国慷慨の歌が多かった。

 

 著書に「六六庵吟詠詩集」「六六庵詩書」四巻、「にぎたづ」合同歌集がある。

 

 他に「松山城詩碑」「星岡詩碑」「高家八幡宮詩碑」の自作漢詩碑のほかに
「父二峯慰霊碑」「伊予すだれ碑」「湯山藤野々慰霊碑」「三坂峠子規作漢詩碑」
「愛媛県護国神社献額」「祈平和」など雄渾な書が刻まれている。

 

この小原六六庵のページには「石碑」「書」「漢詩」などを載せる予定ですが

年代別にはなっておりません。

その都度更新しますのでご理解の程よろしくお願い申し上げます。

 

  蓮華寺の鐘 


愛媛県松山市谷町257 蓮華寺の一角 にあります

 

 

 

 

 

 

 

 2021年12月8日  父二峯村戦没者報恩鎮魂の鐘(不戦の誓い)完成 お披露目

 

「父二峯村戦没者報恩鎮魂の鐘」の鐘楼が、完成。
2021.12.8慰霊祭を開きお披露目をしました。

 

2022年2月6日の愛媛新聞に掲載されました

 

 

1953年 慰霊碑建立 揮毫 小原六六庵

 

画像 2021年12月8日撮影

 

 

 

 

2022年12月 父二峯村戦没者報恩鎮魂の鐘
揮毫 六六庵書道塾主宰 伊藤理恵

 

 

 

 

 

2019年10月11日(金) 「父二峯村慰霊碑詩碑」 揮毫 伊藤理恵

画像 2021年12月8日撮影

 

 詩碑 「父二峯村(ふじみねむら)慰霊碑」詩碑竣工式典

10月16日の毎日新聞25面に「父二峯村慰霊碑詩碑竣工式典」の記事が載せられました。

 

「記事利用許諾書」有

毎日新聞松山支局長 長谷川容子さん、解りやすく要点が押さえられた

記事を書いて下さってありがとうございます。

10月14日の愛媛新聞9面に「父二峯村慰霊碑詩碑竣工式典」の記事が載せられました。

 

掲載許可番号 d20191014001

愛媛新聞の織田龍郎さん、要点がきっちり押さえられている記事を

書いて下さってありがとうございます。

令和元年十月十一日(金) 「父二峯村慰霊碑詩碑」 父二峯村有縁有志建立

 場所 愛媛県 久万高原町二名(にみょう)甲292(「ほたる交流館」隣接地)


令和元年8月15日に予定されていた除幕式ですが台風の為、延期になりました。

再び台風が迫って来るなか快晴に恵まれ、76名のご参列者に見守られた

除幕式でした。

YouTube 3分28秒

 

 

 

「漢詩」 小原六六庵

        「書」 伊藤理恵(小原六六庵孫)

 曾孫 伊藤太一   六六庵書道塾 塾生の皆様
 孫 伊藤理恵 長女 伊藤サチ子

 

「父二峯村慰霊碑」詩碑建立事業寄附者芳名

敬称略・順不同

久万高原町

<父野川>

 大 野 竜 太  黒 田 美咲子  佐 伯 雪 子  玉 水 榮 子
 高 岡 アイ子  山 脇  正   中 野 政 喜  谷 口 ハツミ
 小 泉  巖   片 岡 重 雄  石 井 利 幸  脇 田 富 弘
 上 岡  保   安 部  勧   松 岡 勝 広  片 岡 伸 也
 岡 田  壽   玉 水 繁 子  中 野  久   中 野 公 弘

<二 名>
 西 野 恵 子  中 田 功 一  寺 岡 キミ子  土 居 佳代子
 寺 岡  健   西 尾 道 尊  中 田 健 一  寺 岡 清 治  
 土 居 シズエ  中 野 フクエ  久 保 義 秋  山 中 泰 文

 宮 成 自 治 会  西 山 清 一  西 山 藤 子  森 田 自 治 会
 中 田 弘 武  川 崎 幸 男  相 原 和 彦  成 本  弘
 岡 田 嘉 弘  土 居 清 志  土 居 康 男  山 口 數 幸
 岡 田 盛 隆  成 野  晶   岡 田 シゲ子  宮 脇 恒 子
 泉 田 サツ子  林  キ チ エ   林   俊  治   速 水  保

 杉 本 喜代孝  速 水 健 一  杉 岡 芳 雄  杉 本 貴 秀
 和 泉 佐美子  窪 田 正 市  神 西 伊佐男  速 水 直 樹
 池 田 長 武  坂 本 英 二  上 本 孝 一  池 田 廣 見
 渡 部 光 雄  福 水 千代重  友 井 利 幸  久 保 陽 生
 土 居 保 志  土 居 光 央

<露 峰>
 福 井 雄 一  伊 藤 哲 博  丸 山 徹 三  丸 山 ウメ子
 桃 枝  榮   住 野 秀 志  俊 成 良 一  池 田 昭 雄
 白 岡 光 生  宮 田 史 子  西 崎 守 孝  木 下 道 子
 田 内 君 子  橋 本  強   村 田  勝   久 保 光 広
 川 崎 勝 弘  露 口 脩二郎  川 本 哲 志  宇根岡 マサ子
 中 岡  登   丸 山  孝   古 田 壽 清  佐 伯 勝 弘 
 坂 本 好 孝  鈴 木 秀 明  川 本 博 文  桝 井  則
 橋 本  猛   大 北 慶史朗  角 谷  理   山 本  進  
 森 山 楠 雄  成 井 健 郎  久万川  滋   岡 部 史 夫 
 西 田  功   西 本 ユリ子  竹 本 フジ子  坂 本 懸 一
 西 田 満 文  福 田 米 子  山之内  保   大 野 公 博 
 白 石 敏 夫

<久 万>
 寺 岡 続 樹

<入 野>
 青 木 俊 和  大久保 広 治

砥部町
 関 井 寿 智  福 下 満 盛  田 中 ツネ子  

松山市  
 伊 藤 竹 圓  片 岡 信 一  好 竹  勉   伊 藤 千津子
 西 田 惣 衛  田 中 教 子  水 口 美智子  黒 田 美津子
 石 岡 涼美江  宮 崎  稔   田 中  力   岩 口 守 利
 宮 岡 節 子  西 山  悟   宇都宮 時 子  若 松 文 男
 渡 邊 節 子  藤 村 秀 子  日 野 公 明  白 石 碩 三
 森 田 忠 司  速 水 一 正  西 浦 静 子  坂 本 喜 昭
 品 川 完 二

東温市
 恩 地 森 一  

新居浜市
 西 野  実

広島県
 中 川 裕 士 

 中 川 操 (旧姓小原) 

小原六六庵の次女、2018年6月急性白血病に罹り余命を宣告されましたが
2019年8月15日の「父二峯村慰霊碑」詩碑建立を目標に闘病も叶わず
5月26日に永眠しました。合掌

 

 書 2017.2月 画像の追加 

 

久万高原町父二峯 中田健一氏所蔵

 

山紫水明 中田健一氏所蔵

 

 

  慰霊碑

上浮穴郡久万高原町二名(にみょう)の「ほたる交流館」横にあります。

碑文は『慰霊碑』

太平洋戦争戦没者の慰霊 碑面うらに戦没者名

建立はS28年12月(碑面うらの写真に刻字)

それぞれの画像をクリックすると大きな画像になります

 

S28年12月建立

 

 

 

↑画像をクリックすると戦没者のお名前が読めます。

 
 

 詩碑 松山城登り口

東雲口登城道の最初の階段を登ったすぐの所にあります。

 

 

光のおもてなしin松山城 2018

ライトアップ日時 2018年7月13日(金)〜8月15日(水)
18:30〜21:30
場所 松山城本丸広場ほか(東雲口登城道、長者ヶ平など)
詳しくは 松山城 観光・イベント案内でご確認下さい


2018年7月29日の松山城

 

 

松山城の夜景 外部サイト

 

 書 『憂国』  

S50年3月 第7回六六庵書展作品

 

 書 『心中有国』

 

 

   星岡(ほしのおか) 古戦場

画像は田中修司さんから頂きました。

 

 

二つの石碑が並んで建っています

 
 

   書碑

小原六六庵書碑S36年
『為子規60年祭記念建之』 三坂峠に建立 

碑文は正岡子規の漢詩を揮毫したものです 

 

 

 

 

画像をクリックすると拡大します

 

 

 

『三坂望松山城』

 

石碑は今から54年前のものです。

もう文字が風化し見えなくなっています。

←は当時石碑を掘る手順を写したもの

と思われます。

画像をクリックして頂ければ

文字は読めます。


 
 

   阿沼美神社(あぬみじんじゃ)

阿沼美神社は松山市味酒町にあります。

神社の境内の入り口の全面にある石の玉垣(たまがき)は

小原六六庵の書いたものです。

このように面白い玉垣は見た事がないと思います。

街なかにありますのでぜひ見に行ってください。

交通量が少ないので安心して見る事が出来ます。

 

画像は4秒毎に代わります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 
 

  波賀部(はかべ)神社  『書』

松山市高井町

聖武天皇の御代、神亀5年(728)、伊予の豪族越智玉純が、大三島より勧請し、

石井郷一宮三島大明神と称した。貞観18年(876)社号を墓邊神社と改称したが

後世、墓の字を忌み  波賀部(はかべ)神社に改めた。

1889年4月(明治22年)

神名石 三輪田米山

 

扁額 (半切横作品)

 

『書』  小原六六庵

『年豊人楽』 左横漢詩 左端に明治百年記念

 

*2022年1月に見に行った時には
廃棄されたのかどうかは不明ですが取り外されていました

 

 
 

 松山市南窪田集会所  『書』

 

扁額 (半切横作品)

 

『書』  小原六六庵

右から『和神』よこに六六庵作詩の漢詩二首

(此処で吟詠を指導していたと思われます。)

 
 

 東行庵  詩碑

史跡・高杉晋作墓所 花の寺 東行庵 〒751-1102 下関市吉田町1184

 

曹洞宗清水山東行庵(せいすいざんとうぎょうあん)と称し、

維新の革命児・高杉晋作の霊位礼拝堂として

明治17年(1844)に創建されました。

ご本尊は「白衣観音菩薩」です。

当初は、晋作の盟友・山縣有朋所有の建物「無隣庵」をあてていましたが、

旧藩主毛利元昭をはじめ伊藤博文・井上馨等の寄付で、

新たに「東行庵」として建てられ現在に至ります。

庵内の仏壇には高杉晋作と共に山縣有朋の位牌も安置されています。

 

東行庵のホームページでは↓のように紹介されています

 

『本名小原清次郎、四国松山の漢詩家で独自な書体の書道家でもありました。

S41年(1966)4月14日、東行の百年祭に詣でたときの墓前の作。
S54年(1979)4月14日、 高杉晋作の113回忌に

清水流東行庵吟詠会結成10周年の 記念行事として

建立除幕されました。

小原六六庵の自筆。 』

 

 

 

 



 

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